1500年代には庶民が日常的に焼酎を飲んでいたことが文献から分かります。フランシスコ・ザビエルに宛てた書簡に詳しく書かれています。
1600年代 阿久根焼酎の味が藩主に認められ、その後江戸時代には薩摩藩の阿久根焼酎と国分煙草が全国で大きな評価を受けています。 薩摩藩の大きな稼ぎ頭でした。
1700年代以降 さつまいもの伝来後の薩摩藩では郷士の家庭で主婦が焼酎を味噌・醤油と同じように造っていました。
1900年頃 明治政府は既に家庭での酒造を禁止して、集落ごとで製造することになりました。 この頃から鹿児島ではやっと焼酎が販売されるようになり、販売を目的とした蔵ができてきます。
この時代に合わせて登場したのが黒瀬杜氏の集団です。黒麹を使い従来の黄麹よりも質の良い焼酎を造ることで商業化がさらに進みました。麹米や仕込み方法にも改良を加え焼酎の品質向上が一気に進みました。鹿児島のみならず九州全域の蔵元から声がかかるようになり、杜氏集団はやがて300名を超える規模となります。